2012年05月20日

パートナーとして適切な答えは?

のろけと言われれば返す言葉も無いのだが、たまには許されたい。
先日の妻の来日時、ショッピングに出かけた際、彼女が、

「50kg超えちゃった」
「59cmのジーンズ入らなくなっちゃった」


などとわざわざ告白。さすがにテヘペロは付いていないが。
いきなりムズカシイ選択が迫られた。
敢えて前提をおさらいしておくと、彼女は私と同い年の初老で、身長は178cmである。
それに対して、夫として、あるいは恋人としてどう答えるべきか。
ゲーム的に考えると、

@ ダイエットすれば?
A ま、しようがないんじゃね?
B ボクの愛に変わりは無いよ
C その他
D 無返答


が選択肢になりうる。
本音ベースでは、AとBが7:3〜8:2くらいのイメージ。
しかし、日本男児的にBは回避したいものの、相手がロシア人だけにB要素をゼロにするのは危険であろう。

年齢と身長と人種を考えれば、あの体型を維持してきたこと自体が奇跡的なのだ。
私も、漢方とバレエで逆三角形を取り戻したが、下腹部の贅肉は非常にしぶとい。
だからと言って、「しようがない」では、彼女の努力を否定するようなイメージにも繋がるような……

恋愛要素薄々の草食系初老男性には難問過ぎる問いかけだ。
是非とも読者諸姉の御意見を伺いたい。
ニックネーム ケン at 23:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術

2012年05月18日

日ロ外交に動き?

【歯舞訪問手続きを簡素化=日ロ両政府】
 玄葉光一郎外相は15日午前の閣議後の記者会見で、北方領土の元島民らが墓参などで歯舞群島を訪問する際の出入手続きを簡素化することでロシア政府と合意したと発表した。
 16〜18日にかけて行われる同群島志発島への自由訪問に適用され、玄葉氏は「今回1回限りの措置だが、高齢となった元島民の負担を踏まえてロシア側と調整していきたい」と述べ、簡素化の継続を求める考えを示した。 
(時事通信、5月15日)

日ロ外交に若干の動きが見られる。
この記事や森元首相の派遣訪ロなど、まだまだ表面的には初動の段階でしかないが、そこからも何らかの意図を推測することはできる。

どうやら最大の課題はエネルギー問題のようだ。
原発の再稼働が困難で、仮に大飯原発を再開できたとしても、電力不足という根本課題がなくなるわけではない。
「電力不足」というのは、あくまでも産業界の主張であり、家庭用が不足しているわけではないのだが、そこは本稿の主題ではない。
中期的に見ても、東日本震災の連動が予想される中で、原発の稼働は不安定にならざるを得ず、エネルギーの安定供給の観点からリスク分散を図る必要がある。
再生可能エネルギーの推進はほぼ既定路線となりつつあるものの、送電網の整備もあって、実現には長い時間がかかる。
となると、短期的にはガスタービンのコンバインドによる発電が最も有望となる。

現在のところLNGの輸入はマレーシア、オーストラリア、インドネシアからが最も多く、残るは中東、ブルネイ、ロシアという感じ。
その殆どは南シナ海と台湾海峡を通ってくるだけに、中国との関係や同国の政治事情によって止められてしまうリスクがある。
それを回避するために、北米のシェールガスが有望視されているものの、その本格的稼働にはまだ時間がかかりそうだ。
となると、残るはロシアしかない。

もう一つの課題は、使用済み核燃料の処分問題。
中間貯蔵は福島で行うとしても、国内に最終処分場をつくるメドは全く立っていない。
たとえ全量でなくとも、最終処分についてロシアと協議できる余地はあると考えられる。
すでに日本の原発は、各発電所の保管プールが満杯になりつつあり、再稼働しても2〜6年しか稼働できないと言われる。
その保管プールにしても、福島第一の4号機を見れば分かるとおり、恐ろしいリスクを抱えているのだ。

当のロシアは、シベリアが出稼ぎ中国人によって占拠されつつあり、ロシア人自身の脱出が続いているような有様で、中国に対する潜在的危機感は非常に強い。
もちろん今や「世界の工場」と化した中国に対して天然資源を売ることで、ロシアの財政も成り立っているのだが、それは自分を食ってしまいかねない虎を肥え太らせているだけかもしれないのだ。
従って、ロシアとしてはインドや日本と手を組んで、中国の膨張を最小限に止めたいという本音がある。そして、その傾向はプーチン氏に強く存在する。
しかし、ロシア国内にもすでに「日本人と話す必要はない」とする意見が増大しつつあり、それは「中国人と話した方が早い」という考えを反映している。日本人はイデオロギーや過去の行為の正当性から話し始めるのに対して、中国人はあくまでも実利しか念頭にないからだと思われる。

プーチン氏が大統領に就任した今は、その権力が強大な時であり、一気に物事を動かせる時期と言える。
逆に日本としては、原発が使えず、イランとの断絶をも要求されつつある今、エネルギー・リスクは過去最大級となりつつある。
日ロ関係がストップしているのは、日本側の政治事情によるもの(相手がのめない要求をする)。
有り体に言えば、対米関係を重視する、あるいは対米従属派の利権を優先させてきただけの話なのだが、日本をめぐる危機がそれを上回るのであれば、自ずから優先順位が変わってくる。

日本における北方領土に対するスタンスについてはすでに説明している。
細かいところまでは書けないが、様々な微細な動きを見ていると、「二島を先行して引き渡し、平和条約を締結、残る二島は交渉継続の名の下に棚上げ。しかし共同開発は併行して行う」という程度の政治的決断がなされる土壌はできつつあるようだ。
もちろん、最大の課題は如何に国内向けに発表するかであり、足腰が非常に弱い野田政権では正直なところ期待できない。
だが、我々に残された時間の余りもの少なさを思うと、期待せずにはいられない……
ニックネーム ケン at 12:40 | Comment(3) | TrackBack(0) | ロシア、国際関係

2012年05月17日

プーチン大統領の初仕事?

【初仕事はホッケー?=早くもプーチン流−ロシア】
 ロシアのプーチン新大統領は、祝賀ムード冷めやらぬ7日の就任初日から精力的に職務をこなした。選挙公約に基づき、内政・外交など多岐にわたる大統領令を連発して独自色を強調。夜にはアイスホッケーの公開試合に「主将」として出場し、アピール好きの「プーチン流」が早くも始まった。
 大統領を退任し、プーチン氏から次期首相に指名されたメドベージェフ氏は8日、下院で政権与党・統一ロシア、極右・自由民主党の賛成によって就任が承認された。これを受け、プーチン氏は新政権の閣僚人事などを本格化させる見通しだ。
 7日夜にモスクワで行われたアイスホッケーの大会では、プーチン氏率いるアマチュアチームが往年の名選手らと対戦。友人のベルルスコーニ前イタリア首相らが観戦する中、プーチン氏自身もゴールを決め、チームは6−5で勝利した。
(時事通信、5月8日)


putin-hokkey.jpg

プーチン大統領は就任早々の独特のパフォーマンスで健在ぶりをアピール。
米国大統領のパフォーマンスとは全く趣が異なるものの、プーチン氏の人気の大きな要因と言える。
これまでも本ブログでも虎退治?鯨漁?あるいは愛犬の話題を取り上げてきた。

「ロシアではマチスモをアピールしなければならないのだろう」と思われる方も多そうだが、必ずしもそうでもない。
前のメドヴェージェフ氏の趣味は読書と音楽鑑賞(ロック?)であり、好きなスポーツはバトミントンだった。
ロシア・マチスモの権化とも言えるスターリンの趣味もまた読書と観劇であり、そして庭での薔薇の手入れを何よりも愛した。
故に、プーチン氏のアウトドア志向はあくまでも本人の嗜好、あるいは意図したものであることが分かる。
ただ、アイスホッケーなどは、スケートができた上にホッケーができなければならないという極めて難易度の高い、かつ危険なスポーツであるため、一夜漬けの練習でできるわけもなく、「意図的なアピール」と考えるのは無理がある。あくまでも本人の趣味嗜好がある上でのアピールなのだろう。

趣味のジャンルは別にして、私などは素直に羨ましく思ってしまう。
例えば、日本の総理大臣が休日に九十九里浜でサーフィンに興じたとしたら、どんな反応が来るかはあまりにも明らか。
「この大変なときに遊ぶなんてトンデモナイ!」
という非難の大合唱が起こるだろう。
日本ではあらゆる職場でも共通することだが、ひたすら真面目に働くことばかりが要求され、息抜きをすること自体が悪であるかのような空気が存在する。
が、どんな仕事をしていても人間は人間であり、休息しないと肉体も精神も弱ってくる。
むしろ息抜きは徹底的に行って、オンとオフを明確にすることが重要なのだが、日本では大臣も議員も四六時中マスコミに監視されており、大っぴらには休めない。
外国にゴルフに行っただけで、辞任させられるのだから、私などはバカバカしくて絶対にやる気がしない。
相手が大臣であれ議員であれ、個人のプライベートには干渉しない程度には社会が成熟して欲しいものである。
ニックネーム ケン at 18:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア、国際関係

2012年05月16日

公認公募の問題点

主要政党の次期衆院選候補者が揃いつつある。
とは言っても、民主党は離党者の選挙区が大穴となっており、容易には埋まらないと見られる。
従って、離党者の分だけ自公側が有利にはなっている。

小選挙区制度は有権者の風向きが当落に大きく影響する。
まして、民主党はもともと自前の政党組織を持たず、自民党はその党勢を大きく後退させている。
中選挙区制廃止の良かった点は、中間団体(業界団体や労働組合など)の選挙に対する影響力を大きく削いだことだった。しかし、それは他方で候補者の支持基盤や動員力を弱め、不安定をもたらしている。
政党や組織の基盤が無いだけに、どの候補者も中間層の支持を取り付けるために、人気取りに走りがちとなっている。

野党となって3年目になる自民党は、候補者の世代交代をかなり強引に進め、落選したベテランを公認せず、公募で選んだ者を擁立する傾向が見られる。
だが、公募候補がどこまで戦えるかについては、自民党内部からも疑問が上がっている。

民主党はもともと「既得権益からの脱却」を掲げており、「地元の利益代表者」よりも「政策能力のある公正な候補者」という側面を強調してきただけに、「公募による公正な候補者選抜」が正当化されてきた。
もちろん、あくまでも傾向の話であって、地元の既得権益層とズブズブの関係に陥っているところも少なくないし、政権交代後はその傾向が非常に強まっている。

だが、自民党の場合は、そもそもが農村地主と地場資本の利益代表者として担っていただけに、既得権益層そのものと言える。
言ってしまえば、自民党は、農村地主と地場資本に利益誘導し、中央から地方に補助金と公共事業を引っ張ってくる代わりに、国政については霞ヶ関官僚の政策をほとんど丸呑みするという政党だった。
その強さは、農村地主と地場資本と一心同体であることにあった。「おらが代表」を中央に送り、利益を還元してもらう代わりに、全力で選挙を応援するシステムであり、そこには今日なりの「御恩と奉公」があった。

しかし、自民党の候補者は「おらが代表」から公募選抜による選定に切り替えられつつある。
かつての「おらが代表」たちは、すでに地元で相応の政治力とカリスマを有しているものが、内部の権力闘争を勝ち抜いて公認を勝ち取ってきた。その政治力は、権力闘争の中でさらに磨かれ、個人後援会を拡大させるところとなり、中選挙区の広大な選挙を担った。自らの選挙区内の利害関係を熟知し、その調整能力が買われるからこそ、自民党の議員は党員や支持者の信頼が高かったと言える。

他方、候補者を選抜するための公募は、様々な選定者の合意を経て決定されるために、むしろ利害関係に中立的で、選挙運動に際して見栄えの良い者が、「無難」とされる傾向が強い。
変に政治力があるものは、特定の利害関係者の影響力が強いために、選定会議で合意が得られないためだ。
その結果、確かに自民党でも若返りが進み、学歴や職歴あるいは外見的に見栄えのする候補者が増えてきている。
だが、それはあくまでも中立的な視点から「何となく有権者受けしそう」と見られたものたちであって、果たしてその候補者が本当に地元の党員のために働くかどうかは、まったく分からない。
党員にすれば、なんだかよく分からない党幹部たちの会議によって選別された者が、突然紹介されて、「次の選挙の候補者になりました」と言われるだけなのだ。
これでは、真面目に地元で党活動してきた者ほど、応援する気をなくしてしまうだろう。

候補者公募制というのは、民主党や様々な新党のように、地元に組織を持たない政党が行ってこそ意味のあるものであって、自民党のように党組織を持つものが公募に頼ると、党員の忠誠や士気を下げてしまう恐れが強い。
公募候補は、地元の利害関係や人間関係に通じておらず、調整能力などそもそも選定で考慮されていないのだから、自民党員から求められる議員像とはまったく別物になってしまっている。
「自分たちの候補者」と思えないものを、誰が本気で応援するかという話であり、それは実のところ候補者の選定会議の出席者たちからして逃げ腰であるケースが少なくない。
ただでさえ政権交代を経て、業界団体との結びつきも弱くなっており、その上党組織や選対の動きが鈍いとなれば、ますます浮動票頼みとなってしまうが、それは全く民主党と同じ道でしかない。

他人事ではあるのだが、自民党がやるべきは党組織自体の若返りと活性化であって、公認公募に力を入れすぎると、本末転倒になってしまうのではなかろうか。
ニックネーム ケン at 12:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | 政局ほか

2012年05月15日

祖母の死をめぐる経済性と近代信仰

先日、祖母が亡くなり、90を超えていたこともあって、ごく身内で葬儀を済ませた。
いや、実際には火葬場で遺体を焼いただけなので、葬儀とも言えないだろう。
身内といっても、非常に小さい(先細り?)一族なので、見送るのは4人だけだった。
祖母の姉妹も長命しているのだが、葬儀を開いたところで、来るという保証はなかった。
数年前に大叔母から「もう最後になるかもしれないから、3人で会いたい」と相談され、渋る母を説得して、わが家で夕食会を開いたのが本当に最後となった。

祖母はきわめて合理的で金勘定にはしっかりした人だった。
しかし、まったくケチではなく、戦略的に財産を運用し、必要と判断すれば糸目をつけなかった。
私や妹がロシアやアメリカに留学できたのも、祖母の力によるところが大きかった。
井上家の優秀な頭脳を受け継いだ最後の1人とも言え、今の時代であれば、きわめて優秀な官僚にも政治家にもなったかもしれない。ただ、野心が無いから出世は微妙かもしれないが。
介護施設に入って、会話が難しくなってからも、「館長や介護士さんにちゃんと心付けを渡した?」とだけは確認していたのが、あまりにも印象的だった。
まだ元気だった頃に、すでに先祖の墓を整理統合し、自らについては「墓も葬儀も不要(あんたたちの好きになさい)」と宣言していた。

「墓は生者がためのもの」
とは織田信長が残した有名な言葉。
巨大な安土城を造るために、支配地域から石を集めた信長だったが、戦国時代の築城ラッシュで適当な石は品薄だった。
それ故に、近江地方や近隣の寺などにある墓石を接収し、築城のための基盤とした。
当然、ただでさえ敵対的だった一向宗徒(浄土真宗)が抵抗、蜂起の構えを見せるも、信長は織田家の菩提寺へ行き、自らの父も葬られている墓を解体し、安土へ運んだ。
動員した数万の軍勢による圧力も加わり、一向宗徒の抵抗も尻すぼみとなった。
信長の行為は、全国に知れ渡り、延暦寺の焼き討ちと相まって、「第六天魔王」と呼ばれるようになる。
「目に見えないもの、科学的に説明できないものは論じるに値しない」という信長の合理性は、はなはだ非日本人的だが、この件に代表される信長の合理性なくして日本の近代化は語れない。
同時に、信長による近代化が貫徹されていたら、江戸時代は存在し得ず、どんな日本になっていたのか、想像してやまない。

墓や遺骨は、あくまでも生者にとってこそ価値のあるものであって、「人間が死んだら無に帰すだけ」というのが、わが一族の精神と言える。
祖母の葬儀費用は諸々で30万ちょっと、謝礼を入れて35万円に満たなかった。
遺骨は「整理統合」された墓に入れられるだろう。
生前あれだけ自分の娘2人や孫に資産を投入したにもかかわらず、まだそれなりの資産を残したものとしては、まったく慎ましいものとなった。
その背景には「人間は死ねば何も残らない。自らの意識が世界を構築しているのであって、自らが不在の世界のこと(もの)に自分が関知することは無い」という徹底的な合理主義あるいは唯物主義がある。
とはいえ、祖母は宗教を蔑視していたわけではなく、檀家としての最低限の役割は果たしていた。

祖母の遺品を整理すると同時に、屋根裏などに山積みされていた古いものを大量に処分、つまり粗大ゴミとして業者に引き取ってもらうことにした。
結果、恐ろしいことに6人の作業員が来て、2tトラック2台では足りず、さらに軽トラを追加するほどの「ゴミ」が出された。
その際、いくつか業者さんが「これも処分してかまいませんか?」と尋ねてきたものがあり、桐箱に入った年代物の花瓶や新品の高級食器などが発掘された。それらはもちろん「救助」されたのだが、そうしたものの中に何故か誰のものか分からない位牌が発掘された。
恐らく家を建て直した際に、祖母がしまい込んだものがそのまま屋根裏に放置されたものと推測されるのだが、彼女亡き今となっては菩提寺にでも聞かないと分からない。
すると母は、「見なかったことにしますから、そのまま持って行ってください」とあっさり返答。
先祖の位牌を倉庫に放置する祖母も祖母だが、そのまま処分してしまう母も凄かった。
確かに手元に残したところで、仏壇があるわけでもなく、置き場所もないし、そもそも誰のものか分からない。一族最後の私と妹にしても、余命はせいぜい30〜40年がいいところで、その死後は何の意味も無い。
これもわが一族に遺伝する、唯物主義、無宗教、合理主義のDNAがなせる業だった。
そして、それはわが一族が近代の信奉者であることの証でもあるのだ。
ニックネーム ケン at 12:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 学問、文学、教育

2012年05月14日

サーバー不具合?

どうやら今週末にサーバーの不具合があったようで、土日のカウントはほぼゼロでした。
読者の皆さんにはご迷惑をおかけしましたが、ケンペイやコウアンの検閲ではなかったようなので、ご安心ください(笑)
ニックネーム ケン at 13:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

フランスの先進性?

フランスの大統領選は、我らが(わが社ではない)友党の候補者であるオランド氏が当選。ミッテラン以来2人目の社会党の大統領となった。
それはもちろん喜ばしいことだが、個人的に羨ましい点は他にある。
プライベートにおける自由、あるいは政治からの独立である。

前大統領のサルコジ氏は任期中に離婚して、元モデルの歌手と結婚。
今度の大統領は事実婚で、しかも前のパートナーは前回大統領選の候補者という凄さ!

日本ならば、3分の1が離婚する現代にあってなお、政治家の離婚がスキャンダラスに取り上げられ、致命的打撃になる。
まぁわがボスは離婚して再婚しているくらいだから、かろうじて再婚くらいは認められつつあるのかもしれないが、しかし現職の離婚はどうなるか、秘書としてはあまり想定したくない。
まして、事実婚はミニ政党の議員にはいるが、無視されているようなもの。現職の国会議員で事実婚や同棲はやはりスキャンダルにしかならないだろう。
私などの場合、元モデルのロシア人と事実婚なのだから、話にもならない(笑)

フランスの凄いところは、すでに20年前にミッテランに隠し子が見つかり、インタビューで聞かれ、「で、それが何か?」と堂々と言い返し、報道こそされたものの、スキャンダルになることなく、支持を失うこともなかった点だ。
個人の生活やプライベートな人間関係と、政治能力や社会的地位を分けて考える発想は、成熟した社会文化にしか存在し得ない。
フランスやフランス人にあまり良い思い出のない私も、こうしたリベラルな社会と共和制だけはやっぱ憧れマス。
ニックネーム ケン at 13:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術

2012年05月11日

小沢裁判控訴に見る日本の暗黒

小沢氏の裁判で無罪判決が示されてことに対して、検察官役の指定弁護士が控訴する方針を表明。
その理由は、「一審判決には看過しがたい事実誤認があり、控訴審で十分修正が可能」というもの。

控訴審は一審判決の当否を審理するもので、基本的には一審での証拠を基に判断される。
その判決は、共同正犯を疑うべき根拠はあるものの、不記載や虚偽記載に関して小沢氏が認識していたかについては、それを証明するには不十分だから無罪というものだった。
問われているのは、小沢氏の認識、具体的には「故意で虚偽記載を見逃したか否か」でしかなく、そこは裁判所も推定で判断するしかないところだが、少なくとも地裁は「証拠が足りない」と判断した。
となると、検察役の指定弁護士たちが問題にしているのは、「裁判所が小沢氏の責任(罪)を認めないのは異常である」という意味での「誤認」だと見るべきだろう。

有罪率99.8%の日本において出された無罪、それも検察が2度も起訴を断念した案件を、新たな証拠も無しに「裁判所の認識が間違ってる」程度の理由で控訴するのはどうだろうか。
これでは「有罪になるまで何度でもやる」って話にしかならないだろう。
まして本来権力の横暴から人権を守るべき弁護士がそれを担うのである。

思い出されるのは、日歯連献金事件で裁かれた村岡兼造氏。
彼の場合は、検察による起訴だったが、一審で無罪判決が出されたにもかかわらず、控訴審で覆されて有罪になり、最高裁で確定してしまった。

ただし、今回は検察が起訴を断念した案件であり、これで有罪にしてしまうと検察のメンツが丸潰れになるだけに、検察と一心同体の関係にある日本の裁判所としては、有罪にしがたいところがあるのだ。
故に、地裁もギリギリのところで「お金のやりとりはあったし、秘書が虚偽記載したことは確かだが、小沢氏自身を共犯者と認めるのは難しい」といった具合に、自らの体面と検察のメンツの双方を立てる道を選んだものと思われる。
ただでさえ検察の不正問題で厳しい環境に置かれている司法としては、あまり政治問題に首を突っ込みたくないのが本音だろう。
検察と司法がイケイケだった村岡裁判の当時とは状況が大きく異なっている。

ここで仮に高裁や最高裁が地裁判決を覆して有罪判決を出したとすると、検察と地裁の判断を否定することになると同時に、判決の政治性が突出する形になってしまい、司法秩序が難しい状態に置かれてしまう。
ひょっとしたら、裁判官の多くは「お前らこの判決のどこが不服なんだ!」と叫びたい気持ちでいるのかもしれない。
あるいは、指定弁護士らが敢えて司法と小沢氏に嫌がらせをしているだけのようにも見えてしまう。

一般的には、検察が控訴する場合は、高検と高裁が事前に内々で相談し、ある程度認識の一致を図っていると言われるが、今回は検察ではなく、指定弁護士なのでそれもないわけで、そのことも「単なる公判引き延ばし」と批判される理由になっている。
また、通常控訴が行われる場合は、一審を担った検察官とは別のものが新たに事件と証拠を吟味することになる。ここで再チェックが行われる仕組みなのだが、今回のケースはそのまま指定弁護士が上訴審を担当することになるので、チェック機能の点でも問題がある。言うなれば、ただ「判決が気に入らない」だけになる公算が高いのだ。

いずれにせよ、問われているのは、日本の司法のあり方である。
かつてのソ連ですら、有罪率は92〜94%程度であり、それはスターリン期ですら99%にはならなかったと言う。
プロの検察も下級裁判所も「証拠不十分」と言わざるを得ない案件を、「有罪にならないのはおかしい」というだけで裁判を続けるのは、明らかに人権侵害であり、司法と行政権の逸脱である。
これは、「日本の司法は決して国民を守らない」ことを喧伝しているようなものだ。

今回はたまたま小沢氏だったというだけであり、いつその災厄が自分に降りかかってくるか分からないことを、我々はもっと自覚すべきである。
小沢氏個人の善し悪しは別にして、マジでロシアのことなんか非難する資格ないよな。
ニックネーム ケン at 12:55 | Comment(10) | TrackBack(0) | 教育、法務、司法

2012年05月10日

GW後半は八ヶ岳へ

前回の続き)
荒天で八丈島に2泊の延泊を余儀なくされたため、後の予定が押せ押せとなり、八ヶ岳の別荘には2泊しかできなくなってしまった。
しかも、連休最後の日曜日も朝から雨が降り、雷が轟いていたため、早々に東京に戻ってくる有様だった。
別荘ではのんびりと二人きりの時間を過ごすつもりだっただけに惜しまれる。

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それでもまぁ何とか食事もつくってあげられたし、「姫」を駆って清里や美ヶ原に行くこともできたのだから、良しとすべきだろう。オープンカーを満喫できる短いシーズンだ。
幸いにして別荘があるのは標高千メートルの地点で、連休後半でもまだ桜が咲いていた。
桜に限らず、ハナモモやライラックを始め、色々な花が咲き乱れていたことも、妻を喜ばせた。

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清里まきば公園にて

一回だけになってしまった遠出は、長野県の美ヶ原高原美術館へ。
ちょうど1時間半くらいなので、いい感じのドライブ。
岡谷インターからは天蓋を外して走る。ビーナスラインはかなり老朽化しているようで、サスが硬めの老嬢としてはちょっと厳しいものがあった。
と言うよりも、車高の低さが祟って、何度かお腹を擦ってしまった……(泣)
しかし、標高2千メートルは妻にとって未踏の地であり、遠くの街までも見下ろせる展望や、露天の彫刻美術は感動ものだったようだ。
だが、美術館があるところまで来ると、まだかなり雪が残っており、太陽が出ている間は普通に暖かいが、日が陰ったり、風が吹くと一気に冷える。
上着には革ジャンを持ってきた妻も、下半身は普通の細いジーンズだったため、1時間と経たないうちに体が冷えてしまい、退散することとなった。
帰りがけにはゆっくり温泉に浸かり、冷えた体を癒やした。

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美ヶ原高原美術館

そういえば、話は戻るが、八丈島で温泉に行ったとき、妻が女湯に入ってゆくと、地元のおばちゃんたちが何人かいて、「あれまぁ外人さんだよ、こんな背の高い女の人を見るのは初めてだ〜〜こんな細くても人間生きられるんだね〜〜」みたいなことを言われたという(笑)
いや、もちろん妻は日本語を解さず、あくまでも「〜みたいなことを言ってたようよ」と感想を漏らしただけなのだが。

最終日は雷雨になりそうだったので、渋滞を避けるためにも早々に東京へ。
逆に時間ができたので、妻を今話題になっている「猫カフェ」に連れて行く。
もちろん私も初めての体験だったが、世界中の様々な種の猫がいて、触れたりエサをやったりできて、動物好きならなかなか楽しめる空間だった。妻も大満足。

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仕事的にも、環境省が動物の夜間・長時間展示の規制を強化しようとしていることに関連しての視察の意味もあった。
業者的には「猫カフェは動物園やペット屋と違って、好きに動けるし休めるのだから、動物のストレスにはならない」と主張しているようだが、どうだろう。
個人的には、やはり見知らぬ人たちに見られたり、触られたりすることが「ストレスにならない」とは思えず、せめて客から完全に隔離された空間に猫が自由に出入りできる工夫がなされない限り、夜間や長時間の営業は認めるべきではないように思われた。

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今回は天気の悪い日が多く、低血圧の彼女としては機嫌が悪くなってもおかしくなかったのだが、一度も険悪になることなく無事休暇を終えるところとなった。
私の方の疲労(疲弊?)もこれまで程ではなく、天気の割には良い休暇を過ごせたと思っている。
これでまた互いに暫くがんばれるだろう。
いや、いっそロシアに移住して猫カフェでも経営しながら余生を送ろうかな〜〜
ニックネーム ケン at 12:53 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2012年05月09日

「稼働原発ゼロ」を迎えて

5日に北海道電力泊原発3号機が点検のため停止し、日本国内における稼働原発はゼロになった。
読売や日経などを中心に、財界の御用マスコミは再稼働を促す論調を強めている。
政府内部や政権党内でも再稼働派の方が優勢であるにもかかわらず、再稼働に踏み切れないのは、それだけ再稼働に反対する世論や再稼働に条件を付ける自治体が強いことを示している。
それを受けて、御用マスコミは「原発が稼働しないと現地経済が干上がる」「夏には大停電が起こる」といった特集を組んで論陣を張っているが、どこまで支持が広がるか。

政府が再稼働に踏み切れず、また国民の間に再稼働を支持する声が広がらないのは、フクシマの原発事故の「落とし前」がいまだつけられていないからで、その構造についてはすでに説明している
つまり、過酷事故が起こる前と今日とでは、原発の安全性や政府・電力会社の対応能力に特段の進歩が認められない上に、過酷事故の要因を見過ごした「戦犯」たちの責任追及や処断は一切なされることなく、さらにはその「戦犯」どもが他の原発の安全性を担保しているという有様なのだから、誰も信用しないのは当たり前であろう。
言うなれば、大事故を起こしたバス会社や運転手が、そのまま夜行バスの長距離ワンマン運行を続けているのと同じなのだ。

もちろん、夜行バスで大事故が起きたといっても、若干の利用減はあったものの、相変わらず大人気を博していることには変わらない。
それは、飛行機が墜落したからといって、飛行機を利用する者がいなくなるわけではないのと同じかもしれない。
コストと便益の魔力に抗しがたいのが、現代人の特徴と言えるのかもしれない。
夜行バスのリスクが明らかにされたからといっても、新幹線や飛行機に比べて2分の1や3分の1という価格は捨てがたいのだ。

一方、原発再稼働をめぐる議論は、1941年の日米開戦直前のそれによく似ているような気がする。
当時、軍部の大勢は「対米開戦しなければ半年後には石油備蓄がなくなり日本はジリ貧に陥る」という論理で開戦をゴリ押し、その結果が1945年の敗戦だった。
「アメリカと戦争して勝てる、ないしは有利な条件で講和できる」という見込みは全くないまま、「早く開戦しないとオレたち戦争できなくなっちゃうジャン」という自己チューな論理で、世界最大の工業力を有する国に(不意打ちの上)宣戦布告したのである。
今日の再稼働派の論理は、「早く原発を再稼働しないと経済が行き詰まる」という自己チューのみで、「東日本大震災と同レベルの災害が起きたらどうなるか」という客観的な自己分析が決定的に欠けている。

今日でも夜行バスに乗る人たちは、安全性を犠牲にしてでも安価なコストを選択していると言え、これは自由市場における自己責任の範疇であろう(政府の安全規制の妥当性はまた別だが)。
しかし、原発を再稼働させて、フクシマ同様の過酷事故が再度起きた場合、その責任は誰が負うのだろうか。
少なくとも、国民投票でも行った上での判断であれば、「国民全員で責任を負う」根拠になり得るが、ヤクニンや一政治家が判断するのは重すぎるのではなかろうか。

チェルノブイリ原発を覆う新たな石棺の構築が、ウクライナ一国では財政負担に耐えられず、全世界からの援助によってなされることを鑑みても、日本でもう一度過酷事故が起きた場合、国家財政そのものが破綻しかねないことを十分に考慮すべきであろう。
ただでさえフクシマでも不足している原発技術者や作業員は、完全に枯渇し、十分な対応ができないことは間違いない。

仮に一定の条件が整って、政府が再稼働に踏み切ったとしても、実際のところ2〜7年程度で使用済み核燃料を保管するプールが満杯になって、稼働できなくなるのである。
それを回避するためには、中間貯蔵施設をつくることが大前提となるが、六ヶ所村の再処理施設が稼働していない今、福島第一原発跡地にでもつくる他ないが、地元の理解が得られるかどうかが課題となる。
さらに言えば、最終処分場の見込みが全くつかないままの中間貯蔵施設の設定は、「問題先送り」以外の何物でも無い。
そして、わずか数十年間の発電のために生じた核廃棄物は、革命的な処理方法が開発されない限り、数万年にわたって我々の子々孫々が管理し続けねばならない。

再稼働推進派は「このままでは国内の工場が海外に移転してしまう」と主張する。しかし、さらなる過酷事故が起きた場合、真っ先に国外脱出するのもまた資本家であり、企業ではないのか。

こうした安全確保、責任の所在、廃棄物処理などの問題を疎かにしたまま、「夏に停電したら困る」程度の理由で、原発を再稼働させるということは、我々はまたぞろ先人から何も学ばないまま、同じ失敗、あるいは取り返しのつかない破局を迎える可能性があることを十分に覚悟しておくべきである。
ニックネーム ケン at 12:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | 政治、社会
プロフィール
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誕生日:李英愛さんと一緒揺れるハート
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職業:政治家(広義の)、日本語教師、フリーライター、占い師、写真家、その他
一言:永田町某所に勤務。

趣味:シミュレーションゲーム、TRPG、政治活動全般、バレエ鑑賞
スポーツ:水泳、乗馬
マンガ(古典):小池一夫、白土三平
マンガ(現代):FSS、クレイモア、ベルセルク、ガンスリなどなど
アニメ:攻殻機動隊、ボトムズ
哲学:バタイユ、オルテガ、墨子、王陽明(我ながらメチャクチャな組み合わせだが)
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文学:澁澤龍彦、M・デュラス、ドストエフスキー、司馬遷
時代小説:司馬遼太郎、池波正太郎
特技:占い(修業中)、進路相談、人生相談(特技なのか?)
潜在能力:言霊(師匠曰く)

理想の男性像:土方歳三、サン=ジュスト
好きな俳優:丹波哲郎、山崎努
理想の女性像:メーテル
好きな女優:梶芽衣子、カロル・ブーケ、李英愛、栗山千明
好きな男性のタイプ:よく話す、頭の回転が速い、仁義にあつい
好きな女性のタイプ:カンが良い、寛容、知性がある
上司にしてみたい人:石田三成、大久保利通、草薙少佐、エーベルバッハ少佐

好きなクラシック:J・S・バッハ、ラフマニノフ、スクリャービン
好きな洋楽:ブリストル系(マッシブアタック、ポーティスヘッド、アルファなど)、ラウンジ系(イージーテンポ、イルマレコードなど)
好きな邦楽:書上奈朋子、Calm
好きなポップス:aiko、椎名林檎

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